column

手で考える

私がワークショップをやりたい理由、私が制作活動をする上でのスタンスをここに書き記します。

まず私のバックグラウンドから。
何かを作るのはずっと好きだったし得意だったのですが、大学では美術史を専攻し、卒業後はしばらく会社員をしていました。なので「ものづくり一筋」という訳ではなく私の中では何となくここに辿り着いたという感覚です。
今作家としてそれを生業に出来ていることは本当に幸運な事だと思います。しかし一直線に来なかったからなのか、私の関心は自分で作る事よりもその少し外側にあるように思います。
私は作る事が出来て、作ったものを欲しいと言ってくれる人が居るので喜んで作ります。
でも作る側と作らない側に分かれてしまう事にどうしても寂しさを感じてしまうのです。

手を動かして何かを作る事は生きることの根源だと思います。音楽を聴いたり運動をするみたいに。食べて、寝て、歌って、踊って、そして「つくる」。だから私には出来ない、私には才能が無い、センスが無い、と言う人を見ると寂しい気持ちになります。
完璧な素晴らしいアート作品を作らなくても、作る事自体を人生から切り捨てないで欲しい。
作ったり、作らなかったり。作れなかったら誰かが作った物を買って、作れそうなら作ってみて、上手くいかなかったところはもう一回挑戦して。作る側と作らない側の境界がもっと曖昧なその中で、私は木彫やらが得意な人でいたい。

幼稚園では工作をいっぱいしてみんな好きなのに、学年が上がるごとに図工の授業はどんどん減ってしまいます。作ったものが評価されるようになると苦手意識を持ったり嫌いになったりしてしまう。得意な子でも上には上がいて、美術の勉強はお金も掛かるしアートは仕事にならないからと心の端に追いやってしまう(私はこの類)。
手を動かして、手で考える事は美術のセンスだけでは無い生きる根幹を育てる物だと思います。造形教育は今よりもっと大切にされるようになって欲しい。
でもそれって子どもだけの話じゃないよな、と思うのです。

大人にも手を動かして何かを作る時間をもっと暮らしに取り入れて欲しい。リタイア後の楽しみにするのももちろん良いけど、若い人や仕事が忙しい人にも何かを作る時間を持って欲しい。
完璧な作品は出来ないかもしれないし、突然何か技術やセンスが身につく訳ではないかもしれないけど、ものづくりに集中する時間は楽しいよ。
情報でいっぱいの頭を休めて手で考えるのは瞑想にも似ているような気がします。ぐっすり眠れた後のような気持ちよさがあると思います。自分で作ったものは案外かわいいです。

でもここまで言いましたが私スポーツがダメなんです。やるのも見るのも。だから出来ないって言う人に押し付けるのは違うのもよく分かります。
押し付けたくないけど、やってみたら楽しいよっていうのが一人でも二人でも伝わったなら嬉しい。
もちろん苦手意識が無い人、ものづくり好きな人、得意な人も一緒にやりたい。整った環境で時間制限があって他の人も居る中でやるものづくりは普段とは違う楽しさがあります。
そういう楽しい体験を広めたくて今ワークショップを開いています。

2023.1.1 土屋香子